
五百羅漢展。
Tue.31.5.2011

まー

たー

たー

びー

だー
今日もまたたびボールと踊る猫。
あまりに好きすぎて、顔にぎゅむーと押し付けている。
気がつけば、5月はとうに終わって6月。このままでは5月が空白の時間になってしまうので、インパクト大だった江戸東京博物館の五百羅漢展のことなどを。
この五百羅漢展、博物館前でポスターを一見しただけで、なんというカオスで怪異なお顔・・・と脳が驚きで停止してしまう。思わず、え?羅漢ってそもそもなんだっけ?わるいひと?と、展示を見る前にもはやいろんなことを見失ってしまうほどだ。そして実際に展示を見始めると、怪異度のボルテージは予想の斜め上を行く激しさで、思わず笑いが込み上げてくる。羅漢たちの頭からはありがたい金色の後光が放たれているのだけれど、だんだんそれが後光ではなく、宇宙飛行士のヘルメット的ななにかに見えてくる勢いなのだ。この狩野一信さんは、百鬼夜行を描いたらさぞ上手だっただろうなあ。天女や迦陵頻伽なんかの美人さんは、実につまらなそうに同じような顔に描いているのに、地獄絵の中の怪鳥やら鬼やらになるとかぜん張り切って、乗りに乗って描いているのが一目瞭然だ。そしてその反面、絵から伝わってくるのは驚くほど清明なエネルギーだった。陰々滅々とした絵でも、そこからは個人の鬱屈なんてひとかけらも伝わってこない。ああこのひとは、本当に本当に絵が好きだったのだ。
そして、展示の先へと進むに連れて、絵のボルテージはどんどん上がっていく。なぜか金魚鉢で龍が飼われていたり、ヒョウ柄の牛とか、もうすぐバターみたいにとろっと溶けちゃうんですわたしという感じの表面がたるたるにたるんだ象やら、身体に鱗模様がある一角獣やら、なんのキメラですかこれはという生き物が次々と登場し、かとおもうと羅漢たちがいきなりみんなで竜宮に行ってしまったり、竜宮にはさりげなく後頭部にあんこうを貼りつけた人がいたり、自由すぎてもはや笑いが止まらない。でもそんな展示の最後は、体調がもう優れず筆を取ることが出来なかったのであろう一信の下絵をもとに弟子たちが描いた、生気の感じられない絵で終わる。しんとさみしいような、でもその絵があったからゆえに、直筆の絵のありえないほどのエネルギーの込められ方が際立つような、そんな複雑な気持ちになったのだった。
それにしても、この展示、過去に行われたポンペイ展などのものすごい混みようと比べると、あれ?という感じで空いていた。観るには快適で良かったけれど、でも、もっと沢山の人が見に来てもいい展示だと思うのだけれどなあ。地震の影響なのだろうか?それともやっぱりマッチョな羅漢's があまりにインパクト大だからなのだろうか。
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