September   2009

   




      うんまあ、仕方がないよね。

     Wed.30.09.2009 





   小麦粉で作った即席のパスタ?すいとん?と卵入り。
   トマトと卵ってよく合うよね。



   @ 「災害に備えて、3日分の水と食料を備蓄しておくべきだ」という記事を読み、なるほどーと納得。

   A でも今日は買い足す食材が多いから、とりあえずトマトの水煮缶を1缶備蓄しておこう、と購入。

   B 家に着く頃にはそんなことはすっかり頭から抜け落ち、さっそく昼食にトマトスープを製作。

   C とりあえず、おいしかったから良しとしておこう。






      それはたぶん、ピーター・ラビット。

     Tue.29.09.2009 





   水族館で出逢った、なにか言いたいことがありそうなひと。


   目が覚めて、もし枕元のメモ帳に「アイリーン」とか書かれてたら枕を抱えて逃げ出そうと思ったが、幸い何も書かれていなかった。ドリーのその後については相変わらず不明。幸せでな、ドリー。どなただか存じ上げませんが。

   電話での会話。「ええっとなんだっけあの話。名前出てこないなー あの有名な・・・イギリスの・・・何冊も出てて、もう完結してて・・・あのほら、主人公、耳が長くて、茶色い毛皮で・・・ああそうだ、ハリー・ポッター。」 おそらくあの眼鏡の少年魔法使いはそんなバニーな仮装をしない。しかし要所要所が合っているのが混乱を誘う。

   「樺太ししゃも」という名前につられて、ついつい買ってしまったが、帰宅後ラベルを見ると、産地はノルウェー、加工は中国、輸入した会社は茨城だった。つらいきもちになる。というか、「どこが樺太じゃ」。「Not 樺太ししゃも」とかいう名前にしていてくれればなあ。






      よくあること(わたくしの生活においては)。

     Mon.28.09.2009 





   Mary Magdalene メアリー・マグダレン。



   @ 昨夜半分寝入った頃、「ああ、明日は忘れずにこれをやっとかないと!」と何かを思い出す。

   A 寝ぼけまなこで、枕元のメモ帳によろよろと用事を書き記す。

   B 安心してぐっすりと寝入る。

   そして翌朝、

   C 枕元のメモ帳を見ると、「ドリー」とただひとこと書いてある。

   ・・・クローン羊?

   今日1日が終わろうとする今、その「ぜひやらなければいけないこと」が果たしてなんだったのか、脳内が疑問符でいっぱいです。






      秋の日。

     Wed.23.09.2009 





   ラタトゥイユは、やっぱり煮た翌日の方がおいしいなあ。
   エッグカップは、Rorstrand 社のもの。
   1790年のデザインを1977年に復刻した品。



   薔薇のつぼみを数えるときに、自分が微動だにせず直立不動の姿勢を取っている、ということに気がついたこの秋。きっとわたしという生き物は、集中すると動作停止するように出来ているのだろう。プレーリードッグみたいに。

   6月くらいからずっと、少しずついろんなものを片付けているが、このお休みは、本棚の2度目の点検。どうしてこの本を残しておかねばと思ったのだろう?と首を傾げることも多々で、おもしろい。この3ヶ月ですでにいろいろ自分の中で変化があったということなのだろう。

   人よりも猫たちの方が寒がりなのか、今日はちょっと暑いなあと感じる日でも、気がつくと5匹でぎっしり固まって眠っている。茶箪笥の上に作ってある猫ベッドは、古いブランケットやショールを重ねてもうすっかり冬仕様。もちろん、長靴をはいた猫よろしく彼らが共同作業でベッドメイキングしてくれたわけじゃなく、わたしが支度したわけだけど。これから寒さが本格的になると、寝室のわたしの布団の上で5匹が眠るようになる。あまりの重量に寝返りも打てず、幽体離脱しそうになるので、今年はふかふかのボアで出来た大型犬用サイズ(!)のベッドを彼らのため(そしてわたしのため)に用意してみた。もっと寒くなったら動員する予定だけど、テストでそっとむーちゃんに見せてみたところ、まったく見向きもせずにスルーしていったのが気になる。いや、きっと寒くなればその上で眠ってくれる・・・はず。






      水かきパイ。

     Thu.10.09.2009 



   秋薔薇が咲き始めた。
   ふわんふわんのCafe。
   これから寒さが厳しくなるにつれて、花の色はピンク色を濃くしていく。



   ケーブルテレビをつけたらカナダの海辺の小さな町についての番組をやっていて、美しい真っ白な髪のおばあさまが今まさに郷土料理を作るところだった。おお!今夜の夕食はカナダ料理!と思っていそいそとメモ帳を開いたが、「まずはあざらしの水かきを用意します。」という出だしに動作停止、そっとメモ帳を閉じる。いろいろな意味で無理です・・・あざらしの水かきは、ほんとにあざらしの水かき、というか、あざらしの手の先そのまんまのかたちだった・・・うう。我が家の食卓にそこまでのセンセーショナルさは求めていません。ちなみに製作されたのは、「あざらしの水かきのパイ」というかつて想像したこともないお料理。世界は広いと実感したことだった。

   あまりの衝撃に夕食は、炊きたてごはん、焼き鮭と大根おろし、ほうれん草の胡麻和え、あさりのお味噌汁とものすごくトラッドな和食となりました。ぐるっぽー。






      秋の日。

     Tue.09.09.2009 





   砂時計って動かすとついつい見入ってしまう。


   教材が届いたときはすでに満月の準備佳境で、中をろくに見てもいなかった通信教育のテキストをようやく開いて、今回の課題の量を知る。うわあ。端的に言って、とってもやぼうございますね。おまけに英会話教室の夏休みの課題図書も読み終わってすらいないというスリリングさ。でもまあ、きっといつかは終わるだろう。たぶん。

   毎年うっかり準備を忘れて、冬に突入してから大騒ぎして探し回っていた翌年の春のための球根。今年はぬかりなく早めにチェックしに行ったら、早すぎてまだなにもなかったという。うんまあそうだよね。でもせっかくなので、しっかり予約を終えておく。これで残る関門は、植えること自体を忘れないかどうかということだけだ。それにしてもガーデナーのみなさんは、どうやって適切な時期に球根を揃えているのだろうか。

   ヒヤシンスには、オデッセイとか、アイオロスとか、アトランティックとか、気になる名前の品種が揃っている。きっと同じ方、あるいは会社が作出した品種なのだろうが、どこの国の方なのだろうか。





      美術展。

     Mon.08.09.2009 





   「風流夕涼三美人」。


   もう9月だなんて、時の早さになんだかぽかんとしてしまう。忘れないうちに、この夏に行った美術展について書いておこう。

   まずはお友達と行った、江戸東京博物館の「写楽 幻の肉筆画」展。タイトルにあるように、展覧会の目玉は、写楽の肉筆画。ギリシャの国立コルフ・アジア美術館で2008年に調査を行った結果、東洲斎写楽の手になる扇面画が発見されたのだそう。でも個人的に1番見たかったのは、菊川英山の「風流夕涼三美人」!この作品はやっぱりすごかった。英山の作品たちには、ものすごく生きている感じがあって、絵というよりも窓を覗いているような気になる。別の時間がちゃんとそこで流れているのだ。何点かあった中でも、やっぱり「風流夕涼三美人」には目を奪われた。3人の美人が宴席を離れて一息、夕涼み中、という何気ないような絵なのに、この妖しいばかりの生気はどうだろう。ちょっと目を放した隙に、背景の障子の影に、キツネやろくろ首が混ざっていてもちっともおかしくない感じ。北斎の百物語に思いがけず再会できたのも嬉しかった。百物語は以前に他の浮世絵展でも目にしたことがあるのだけど、今回のは格段に色鮮やかで、百物語シリーズって予想よりずっとポップな雰囲気だったんだなと実感する。葛飾北為の「福原殿舎怪異之図」は、下っ端骸骨の群れの、どーでも良さそうなお気楽な感じがユーモラスで、「いいところじゃん福原殿舎。」なんて錯覚しそうだった。そして写楽の肉筆画は、とても線が細いというか、非常に女性的な雰囲気を感じてびっくり。版画からもっと豪快な人を考えていたのだが、実はそれとはまったく違う、繊細な性格の人だったのかなと思った。ミュージアムショップでは、アダチ版画さんの百物語に釘づけに。でも、フルセットっていうのがな・・・さらやしきだけならともかく、赤子の生首つきの笑いはんにゃなんて、どこに飾れば良いというのだ。お店の方が、「生首ではなく、ざくろと考えればいいんですよ。」とおっしゃっていたが、それ余計に怖いです!




   国立新美術館。初めて行った。


   それから、渋谷の国立新美術館の「ルネ・ラリック展」。雨の夕暮れに行ったからか人も少なく、ゆっくり鑑賞できた。ラリックにはたくさんの作品があるけれど、やっぱりジュエリー作品、それも石を使った作品に惹かれる。展示は工夫されていたと思うけれど、やはり小さなものが多いだけに、作品の距離が遠く感じる。仕事柄、石留めや裏がどうなっているかということにも興味しんしんなのだけれど、なかなかそこまではよくわからないし、夢中になって見ているうちに、何度かガラスケースに激突しそうになってしまった。

   最初に圧倒されたのは、カタログの表紙にもなっているケシのハットピン。ケシの花特有の、薄紙のようなくしゃくしゃ、ぱりぱりした感じ、その波打つゆるやかな曲線がみごとにあらわされている。それにこれは、女性像や、鳥、花などどのモチーフでもそうだったけれど、単に本物そっくりというのではなく、間に「ラリック・フィルター」とでも言うべきデザイン的変換がなされていて、どの作品も「自然の模写」ではなく、しっかり「ラリック作品」の呼吸が通っているのがさすがだった。

   一方で、ラリックのジュエリーは、身につける側にもかなりの気合というか、それなりの器がないと身につけられないなあと感じた。合わせるドレスも、シンプルなだけでは負けてしまうし、かといって豪華なら良いというものでもない。ジュエリーに合わせてドレスを作るくらいの勢いだったんだろうか?有名なティアラ「雄鶏の頭」 なんて、相当格好いい女性じゃないと、つけて夜会に出た瞬間に会場が爆笑の渦になっちゃうのではなかろうか。優雅なドレスの女性の頭に燦然と輝く、立派なとさかの雄鶏の首。なんかの儀式か。今大きなアメシストが嵌まっているこのティアラには、かつてイエローダイヤモンドがセットされていたそうで(見たかった!)、そのころはまた雰囲気が違ったのだろうか?いやそれでもやっぱりすごいよな・・・ケシのハットピンも、実際に帽子にあれをつけて人が歩いている様子が想像できない。もしそんな方とお話しすることになったら、たぶんひたすら頭上のケシを見つめて話をしてしまうだろう。

   ジュエリー作品の石留めは、全般的にかろやかな留め方が多くて、作品にしっくりと溶け込んでいてとても自然なのに感動した。ラリックにとっては石は主役じゃなく、あくまで1つの要素だったんだなあ。中でも「スフィンクス」という名の指輪のオパールの石留めにびっくり。こんな技法で留まるの?!指につけたらどんな風に見えるものか知りたかった。

   美とはまったくもって別のベクトルでわたしの心を鷲掴みにしたものは、カーマスコットのコーナーにあった。いかにも「わたくし、高価な車のボンネットに置かれるものです」という感じのクリスタルガラスのオーナメント群は、当然、グレーハウンドとか、ワシとか、髪が激しくたなびく「勝利の女神」(見方を変えると、感電しちゃった女の人みたいでもある)、馬だとか、いかにも速そうなものが揃っているのに、その中になぜかぽつんとカエルのオーナメントがあったのが心のツボを突く。こんなものをわざわざラリックに注文しておきながら、なぜよりによってカエル・・・!これを注文した人とは、とても話が合いそうな気がする。

   ところで会場で、娘さんとお母さんらしき女性の2人連れが、ドッグ・カラータイプのネックレスを見て、「犬用なのね。」といたく感心なさっていたのがインパクト大だった。ラリックさんが聞いていたら泣いてしまったかもしれない。おかあさま、それは人が身につけるものです・・・・




   カタログをひさしぶりに買った。






   

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