![]() ![]() ![]() ぎっしり。 Sun.31.05.2009
うちの猫たちは、日中1階の居間で眠っていることが多い。だから、仕事部屋が2階になったら触れ合う機会が減ってしまうかしら・・・と思っていたが事態はそういう風には進展せず、結果として仕事部屋が猫でぎっしりになりましたですよ。右を向いても猫。左を向いても猫。下を見ても猫。窓辺にも猫。空になったバスケットを仕舞おうと振り返れば、いつのまにかぎっしりむーちゃんが詰まっているし。猫密度はむしろ上昇している気がする。
![]() ようやく。 Sat.30.05.2009
このところ仕事部屋の1階から2階への引越しと新しい月あかり工房HP の製作を進めてきたけれど、ようやく両方とも完成度7割くらいまで漕ぎ着けた。まだまだ手を入れたいところはあるけれど、とりあえず仕事部屋の方は明日から稼動出来そうだ。HP は製作の合間に少しずつ作業するつもり。 今度の作業場は見晴らしの良い2階の小部屋。エアコンを入れないことには夏は作業が出来ないことは確実だが、今の季節はとても居心地が良い。この部屋で作品を作ったことがないのでまだまだ実感が湧かないけれど、なんだか遠足前の子供のように舞い上がって、新しい机の引き出しを開けたり閉めたりしている。明日の製作が楽しみだ。 ![]() 掌中の月。 Mon.25.05.2009
月の見えぬ夜は、てのひらの月を愛でる。 子供の頃からの月好き、というのは、新月と満月だけに開く小さな店の店主という時点で語るまでもないことだろうか。シャーレの中でまどろむこの月は、魅惑的な逸品揃いのお店、 子羊舎 のMistletoe さんの手になる作品 『13番目の偽りの月』。まさに一目惚れだった。ふっくらした、幼げでいながらどこか官能的な白い掌に輝くのは、ちかちか瞬く金の星。表は裏に。裏は表に。雲のはざまから覗き込む、すべてを知り尽くしているようなその微笑いの下で、わたしもしばしまどろむとしようか。
![]() やむをえません。 Sun.24.05.2009
紺地に白の古典柄が目に涼しいシックな雰囲気の浴衣を買う予定が、白熊とペンギン柄の帯を買っちゃった人がいるらしいですよ。おまけにクラゲ模様のガラスの帯留めも買っちゃったらしいですよ。仕方がない!仕方がないよ! どうしてないんだろう?と不思議に思ったが、熟考の結果、やはりクラゲ柄の浴衣がないのは正解だという結論に達した。だって纏ったらなんだか刺されそう。もっとも、帯ならありかもしれない。涼しい水色の地に白で抜いた、ゆらり漂うアマクサクラゲなんて素敵じゃなかろうか。 ミズクラゲのポリープの育て方を調べ始めた。とても危険な兆候以外のなにものでもない。 ![]() 探訪。 Sat.23.05.2009
いろいろ嵩じて、新江ノ島水族館へ行ってきました。 水族館は大好きなので、最初に観た、どーんと聳える相模湾大水槽との出逢いからすでに夢中に。こんなにたくさん水があって、その中にこんなにたくさんの魚が泳いでいるという喜び。どっと流れ込む水に口を開けたままゆらゆら揺れるウツボ、ひらりひらりと飛ぶように進む巨大なエイの背に張り付いているコバンザメ、刀の一振りめいた軌跡が残光となって目に残る、銀の弾丸のようなシイラ。それ自体1つの生き物のように躍動するマイワシの大群。座り込んで、1日眺めていたいようだった。 大きな水槽が並ぶクラゲファンタジーホールでは、ミズクラゲやアマクサクラゲなどが、それぞれがばらばらに動いているのに全体としては不思議と調和の取れた動きで漂っていた。予想よりも種類が少なかったけれど、個々のクラゲをじっくり見ることが出来た。自分は青味を帯びた乳白色のクラゲが好きなのだということを再認識する。それにしても、加茂水族館の「日本一のクラゲ水族館」という銘は伊達ではないのだなあ。 そうそう。今回、水族館を訪れる前に、ずっと行きたかった香水瓶美術館に足を運んだ。香る水を収めた、小さな芸術品。ガラス越しの香りを感じることはないけれど、おそらくは実際に香りに触れるよりも雄弁に、ガラスのボトルたちが1つ1つの世界を物語っている。アール・ヌーヴォーの作品の中でも、ドーム兄弟の菫文様はやっぱり素敵。並ぶガラスの瓶たちの中で1つと言われれば、やはり彼らの作品である、薄氷めいた白いフロストガラスをこの小さな紫色の花でそっと染め、その姿を写し取ったかのようなすみれ文香水瓶を選ぶだろう。
![]() 1人密室。 Fri.22.05.2009
書棚の大移動に備えて、一段分ごとに本を出して床に重ねていく作業。一段落ついたところで振り返ると、背後には本の山が聳え、どう考えてもこの山を崩さずには出口までたどり着けなくなっていた。わあ、1人密室状態。脱出ゲームと違うのは、どんなに各種ギミックを動かしたとしても、新たな出口が出現することはないということだ。ミーアキャットのように立ち尽くしたまま眺めてみたものの状況は変わらず、結局再び本を移動するうちに夜となる。 「おからがちょっと多いかなあ・・・まあいいか。こんにゃくも多いなあ・・・まあいいか。にんじんもちょっと切りすぎたなあ・・・まあいいか。油揚げも・・・」と「まあいいか」に満ち満ちた寛容な精神で製作したところ、当然の帰結としてル・クルーゼ一鍋分の卯の花が出来上がる。うーん・・・まあ・・・良くない。味はおいしいんだけど、一体これから何日卯の花を食べ続ければ良いのだろうか。 クラゲ熱があまりにも高まりすぎて、山形から帰宅した日の夕食にクラゲの前菜を食べたことに良心の呵責を感じ始めた今日。なにか方向性が違う気がする。 ![]() 始動。 Thu.21.05.2009
窓越しに風に翻る薔薇を見ているうちに、いつでもすとんと眠ってしまう。帰宅以来なんだかいくらでも眠れそうだ。まるで時差ぼけ。でもひょっとしたら、この眠りが少しずつわたしの中の撥条を巻き戻してくれているのかもしれない。もちろん、その逆もありうるわけだが。 ずっと、小さな二月堂で作業をしてきた。最初からそうだったから不便とも思わなかったが、どうやら座卓での作業がいくつかの身体の故障を引き起こしている可能性が濃厚になってきた。そんなわけで、いろいろと構築し直し中。新しい作業スペースを作るべく、段ボール10個分の本を古書店に送ったけれど、さらに処分すべき本が出てくるというこの神秘よ。うちの書斎では、本と本の間に恋が芽生えて、メンデルの法則にしたがって新しい本が生まれているのかもしれない。 ところで、こんな状況の中で豆本という禁断の領域に手を出しつつあるという点についてどう考えればいいのだろうか。どうにかルリユールにだけは踏み込まずに持ちこたえたいものだと思いつつ、アニー・トレメル・ウィルコックスの『古書修復の愉しみ』をそっと箱に収める。 ところで、クラゲ熱は高まるばかりで、お気に入りの中にくらげフォルダまで作ってしまった。クラゲアルバム製作に踏み切るまであとわずか。そのうちクラゲ巡りの旅とかに出てしまいそうだ。 ![]() はざま。 Wed.20.05.2009
曇りの日が続いて寒かった山形から帰ってくると、関東はまるで夏のようだ。ほとんどの薔薇たちは、すでに花の盛りを迎えている。昨夜、夜風を部屋に入れようと窓を開けると、真っ暗なベランダから、さら・・・さら・・・さら・・・と雪が積もるようなしずかな音がした。満開のトロワラスが風に花びらを舞い散らせているのだった。 頭の中でまだ向こうの家とこちらの家が混沌としているのか、半分眠ったままのぼんやりした頭で寝室の扉を開けたとき、予想と違う家の間取りに首を傾げてしまった。器用なことに、明け方の夢の中でのわたしの住む家は、向こうの家とこちらの家を絶妙に1つにしたかたちをしていた。 帰宅した時に、わたしが誰であるかはっきりと認識してくれていた牡丹と紅葉のかたわらで、「これ・・・・誰?まあいいか。なでてくれるし。」という小さな脳内の思惑が電光掲示板なみにはっきりと顔に表れていたのどかだが、ようやくわたしのことを思い出してくれた・・・気がする。今日はどの部屋で作業をしていても、気がつくと部屋の片隅で猫たちが群れを成して寝ていた。別の部屋に行くと、いつのまにかまた移動してくる。昨日夕食の買い物に行くと、帰ってきたわたしを全猫が玄関で出迎えてくれてびっくりした。やはり、さみしかったのだろう。 ![]() 水の時間。 Tue.19.05.2009
昨晩、山形より帰宅した。ここしばらく、両親、祖母の引越しの手伝いをしていたのだった。 いくつかのわたしの役割の中で、90を越える祖母を飛行機で山形までエスコートするというのが最重要のミッションだった。その年齢にはとても見えないほど元気な祖母だが、ここ10年近く電車で最寄の大きい駅に行くことすらなかった人だ。それが故郷に戻るとは言え、40年以上住んでいた地を離れ、1時間半電車に揺られ、人生2度目の飛行機に乗るというのは、本人には想像以上に大変なことだっただろう。車酔いをする人だが、服用している薬の関係で酔い止めの薬が使えないという問題もあった。でも、バッチフラワーのスクレランサスがうまく働いてくれ、航空会社の人たちや向こうに住む親族などいろんな人に助けて頂き、無事向こうに到着することが出来たのはなによりありがたいことだった。 山形での日々は、基本的に「ダンボール、ダンボール、掃除、家具組み立て、探し物(作り付けの収納庫が多すぎて、どこに何があるのか探すのがまるで神経衰弱)」という感じだったが、それが一段落した後に連れて行ってもらった加茂水族館のクラネタリウムでの時間は、想像もしなかったほどに、本当に幸せな時間だった。子供の頃から何度も連れて行ってもらったこの小さな小さな水族館だが、1番大興奮だったのは今回だったかもしれない。ウリクラゲをこの目で見られるなんて!蒼白く光る半透明の身体に虹色の光がシグナルのように点滅し、何本ものラインとなって走っていく様子は別の宇宙の生き物のようで、ようやく水槽を離れた瞬間、深い海の底から浮上したかのように息をしている自分に気がつく。いつのまにか、息を止めてその姿に見入っていたのだった。 この旅には、1つの終わりとはじまりの瞬間が内包されていた。自分にとっての「うつくしい」とはなんだろうという思いがここしばらく心の中を占めていたが、その答えのエッセンスを得た時間だった。「わたし」が「わたし」であるがゆえの、不便さや、うまくいかなさや、でこぼこ。でもその中心には、「わたし」が「わたし」であることの、「わたし」でしかありえないということの、光がゆるぎなくある。まるで、炎のような、祈りのような、強さで。
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